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■ これまでのパネル展示
 
       
         第64回    手紙でたどる明治時代の移民生活 〜紀三井寺村岩ア家文書から〜
 和歌山県は、戦前・戦後をとおしての海外移住者数が全国6位の移民県です。令和5年10月には第2回和歌山県人会世界大会が開催され、国内外の県人会会員が一堂に会し、移民の歴史を共有するとともに交流を深める予定です。
 和歌山県立文書館寄託の岩ア家文書には、明治・大正時代に紀三井寺村(現和歌山市三葛・紀三井寺・内原・布引・毛見)からアメリカに渡った、様々な経歴をもつ移民たちから届いた年賀状や手紙などが200点以上残されています。紀三井寺村は多くの移民を海外に送り出した地域だったことがうかがえます。
 本展示では、明治25年(1892)に紀三井寺村からアメリカに渡った一人の移民の手紙を取り上げます。アメリカから故郷に送られた手紙は50点以上にのぼり、これらを読み解くことで異国での暮らしぶりが分かります。 本展示をとおして、当時の移民の暮らしに思いをはせていただければ幸いです。

 
 
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         第63回     外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」より(4)
            
―陸奥宗光の履歴書―
 
 最終回となる第4回では、明治の日本外交に大きな役割を果たした元紀州藩士で官僚・政治家である陸奥宗光(1844〜1897)の足跡をたどります。ここでは、幕末維新期の政治活動、西南戦争時の逮捕・収監、明治期の政治家としての活動、家庭人としての姿という4つの視点から、陸奥の履歴をみていきます。
 
 
 
 
   
         第62回     外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」より(3)
            
―日清・日露戦争と条約改正の達成―
 
 第3回は、日清・日露戦争の勝利を通じて日本が欧米諸国と対等な地位を獲得し、条約改正を達成するまでの道のりについて、和歌山出身の外務大臣陸奥宗光に関する文書や各国と取り交わした条約書などの外交史料からみていきます。
 
 
 
 
   
         第61回     外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」より(2)
            
―条約改正に向けて―
 
 第2回は、明治政府の重要外交課題であった不平等条約改正のプロセスについて、関連する外交史料からみていきます。また、同じ頃、和歌山県串本沖で起こり、日本トルコ友好の礎となったエルトゥールル号遭難事件に関する資料も紹介します。
 
 
 
 
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         第60回     外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」より(1)
            
―幕末維新期和歌山の外交関係―
 
 和歌山県は、明治4(1871)年11月22日に現在の県域が定められ、令和3(2021)年で誕生150年を迎えました。
  令和3年度、文書館ではこれを記念して、明治期の和歌山県に関する歴史講座の開催やパネル展示を行いました。
  これに引き続き、令和元(2019)年に文書館が展示企画に加わった外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」(県立近代美術館で開催)から、「明治期の日本外交と和歌山のかかわり」を主題としたパネル展示を4回にわたり行います。
  第1回は、幕末期における外国船接近への対応と幕府による不平等条約の締結、そして開国後の和歌山で発生した外交問題に関する資料を紹介します。
 
 
 
       
         第59回    復刻版 文化財レスキューとは −紀伊半島大水害被災資料保全活動を事例として−

  平成23年9月の紀伊半島大水害から10年が経過しました。
  紀伊半島大水害では、台風第12号がもたらした大雨により、和歌山県南部を中心に洪水や土砂災害が多数発生し、多くの尊い人命が奪われました。また、先人たちの生きた証ともいえる文化財も大きな被害を受けました。
  こうした状況を受け、ボランティア団体「歴史資料保全ネット・わかやま」が結成され、文書館の職員等も参加し、被災した文化財を救出・保全する「文化財レスキュー活動」が行われました。
  その後、平成26年度には県立博物館を中心に「災害の記憶」事業など、文化財を保全する取組が発足し、文書館も当初から参加してきました。水害を契機として構築された資料保全に対する協力体制は現在も引き継がれています。
  本展示は、当時の文化財レスキュー活動をまとめたものです。水害から10年を機に、文化財レスキュー活動の大切さを知っていただくため、今回改めてパネルを展示します。ぜひご覧ください。
 文書館は、今後も歴史資料の保全に向けて取り組んでいきますので、御協力よろしくお願いします。


 
 
       
         第58回   和歌山県が生まれた頃  〜記録で見る明治期の歩み〜
 
 令和3年(2021)は、和歌山県誕生150年にあたります。
 文書館では、これを記念し、古文書等の資料を活用した明治期の和歌山県に関する歴史講座を開催しました。
 講座で用いた資料の中から、和歌山県の成立や当時の様子がわかる文献や写真などを紹介します。
 
 
 
 
 
 
       
         第57回     「災害の記憶」を伝える石碑と古文書   
           
―「地域に眠る『災害の記憶』と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」より―
 
  和歌山県立文書館は、平成26年度から県立博物館、県教育庁文化遺産課、和歌山大学、歴史資料保全ネット・わかやまなどとともに「地域に眠る『災害の記憶』と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」に参加しています。
 同事業は、各年度ごとに対象地域を定め、各地の過去の災害(地震・津波・水害など)に関する記録・記念碑・言い伝え・痕跡・遺跡を中心に、未指定のものを含む文化財の所在確認調査などを行うものです。
 この展示では、同事業で調査した津波に関する石碑と古文書の一部を取り上げます。石碑については同事業で採取した拓本のパネル展示により、古文書は閲覧室で原本を展示して御紹介します。
 先人達が私達に伝えるために残した「災害の記憶」を思い起こし、未来の災害に備える参考としていただければ幸いです。
 
 
 
       
         第56回     ぼっかんさん(貝塚寺内町領主)の紀北旅行
           
―令和2年度貝塚市郷土資料展示室企画展から―
 
  大阪府貝塚市の浄土真宗貝塚御坊願泉寺(がんせんじ)とその住職を代々つとめる卜半(ぼくはん)家は、親しみを込めて「ぼっかんさん」とも呼ばれます。江戸時代、お坊さんである卜半家は、貝塚寺内町の地頭(領主)でもありました。
 文政7年(1824)9月下旬、卜半家第10代当主了真(りょうしん)は、妻や6人の子(後の第11代了諦(りょうてい)となる太郎丸ら「若君様」2人・「姫様」4人)、家来らを引き連れ、6泊7日にわたり総勢45名で紀伊国北部の名所を旅行しました。
 和歌山県立文書館蔵『紀の路御遊覧日記』は、この旅行に随行した家臣が了真の命を受けて書き留めた旅行記です。粉河寺(現紀の川市粉河)、紀三井寺(以下、現和歌山市)、和歌浦、鷺森御坊、加太浦、大川浦の報恩講寺など、一行が巡った名所の様子や、各所で詠んだ俳句や漢詩、宿屋や茶屋の名、食事のメニュー等も詳細に記録されています。この旅行記を基に、約200年前のぼっかんさん一行の観光旅行の足跡を見ていきます。
  本展示は、貝塚市教育委員会の御協力をいただき、令和2年度貝塚市郷土資料展示室企画展「江戸時代の人びとの旅行記〜古文書から見た様々な観光名所〜」の内容を和歌山県立文書館のパネル・ケース展示で御紹介するものです。
 
 
 
 
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         第55回    濱口梧陵生誕200年記念 県立図書館・文書館合同展示 濱口梧陵文庫
  「濱口梧陵文庫」は、平成24年に梧陵の子孫から和歌山県立図書館に寄贈された「西濱口」家の蔵書です。その規模は、500種余、約5,700冊にのぼります。
  特に、3,950冊と蔵書の7割を占める中国からの輸入書(漢籍)は、驚くほど高価なものでしたが、大大名の蔵書に匹敵するほど充実しています。梧陵は、日本屈指の大蔵書家でもあったのです。
  「濱口梧陵文書」の中から、貴重な漢籍と、梧陵の活躍と深く関係する重要な和本(日本の本)を紹介します。
 
 
       
         第54回     坂本龍馬と陸奥宗光 - 外交史料展の紹介 -
 
  令和元年11月2日から12月15日まで、和歌山県立近代美術館において、外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」と題する、大規模な企画展示をおこないました(和歌山県・和歌山県教育委員会・外務省外交史料館が主催)。
  全2部構成で、その第1部「明治の日本外交と陸奥宗光」では、和歌山を代表する明治の官僚・政治家であり、明治の日本外交をリードした陸奥宗光(天保15年〈1844〉〜明治30年〈1897〉)の事績について紹介しています。
  このパネル展示では、若かりし青年期の陸奥が、かの坂本龍馬(天保6年〈1835〉〜慶応3年〈1867〉)とともに幕末という動乱の時代を駆け抜けていたことをテーマにとりあげます。
  外交史料展のサブ・展示として、そこでは紹介しきれなかった点も加えて補足しながら、幕末の陸奥の足跡をたどっていきます。
 
 
 
       
         第53回    『和歌山県歴史資料アーカイブ』のご紹介
いつでも!どこでも!自由に!

  「和歌山県歴史資料アーカイブ」とは、過去の和歌山について記録した写真や古文書などの貴重な歴史資料をインターネット上で公開するサイトです。
  これまで和歌山県立文書館では、古文書をはじめとした歴史資料を収集・保存・整理してきました。当館で蓄積してきた史料をデジタル化し、県内外の多くの方に利用していただくためにつくったのが、この「和歌山県歴史資料アーカイブ」です。
 
 
       
         第52回     和歌山城と茶の湯
 
 和歌山城は、天正13年(1585)羽柴秀吉による紀州攻めののち、 弟の秀長へ築城を命じたことに始まります。元和5年(1619)、徳川家康の十男であった頼宣が入国すると、前の藩主 である浅野期の計画を継承した、城の整備と町づくりが行われました、明治4年(1871)の廃城令までに、御殿や天守 閣は、何度か火災に遭遇しましたが、そのつど再建されました。和歌山城は築城以来、政治・文化の中心地として 発展を続けてきましたが、昭和20年(1945)7月9日の空襲で天守閣は焼失してしまします。しかし、和歌山市のシンボル として昭和33年(1958)に再び往時の姿を取り戻しました。和歌山城再建を記念し、和歌山城内で行われた茶の湯と茶 道具の管理について紹介します。
 
 
 
       
         第51回    和歌山大学図書館/地域史料デジタルアーカイブ「和歌山県内の歴史資料等の
          デジタル化について
 
 和歌山大学図書館では、公益財団法人図書館振興財団の助成を受け、和歌山県内の歴史 資料等のデジタル化を行い、「地域史料デジタルアーカイブ」としてインターネット上に公開しています。
  この「地域史料デジタルアーカイブ」では、和歌山県立文書館寄託瀬戸家文書より「日高川河口絵図」も 公開されています。
 今回の展示では、「地域史料デジタルアーカイブ」で公開されている資料の中か ら、以下の4点をご紹介しました。
 
 展示絵図
・紀伊古地図
・高野山細見絵図
・紀州御領分之図
・紀伊国絵図

★リンク先
和歌山大学図書館/地域史料デジタルアーカイブ
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/3071055100
 
 
 
       
         第50回    紀州藩大奥の装い
   堀内信(ほりのうちまこと)が編纂した「南紀徳川史」の「大奥御服図」には、 紀州藩大奥で着用されていた衣装が、色あざやかな色彩をもって描かれており、紀州藩大奥が存在 した当時の華やかな装いを窺(うかが)うことができます。
 
 
       
         第49回    日高郡切目地区を襲った津波と宮井六之丞家の歴史
 
   日高郡印南町の切目地域(切目川河口地域の大字島田・大字西ノ地)は、江戸時代以降3度津波に襲われ、 浜畑地区の宮井六之丞家は3度とも被災しました。切目地域の津波と宮井六之丞家の歴史を見ていきます。
    ※本展示は、文書館が参加した平成28年度「地域に眠る「災害の記憶」と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」の成果です。
 
 
 
 
       
         第48回    嶋屋の商い    〜葡萄櫨(ぶどうはぜ)と櫨蝋(はぜろう)のつくり方〜
 
   和歌山県では、江戸時代から櫨(はぜ)の栽培と蝋絞(ろうしぼ)り、 櫨蝋(はぜろう)を原料とした蝋燭(ろうそく)や鬢付油(びんつけあぶら)の製造が盛んで、 現在でも櫨と櫨の実からとれる木蝋(もくろう)が生産されています。
   ここでは、江戸時代と現在の木蝋の製造工程を、江戸時代の農学者大蔵永常(おおくらながつね)による『農家益』と 海南市且来(あっそ)の吉田製蝋所における作業を比較しながら見ていきます。
 
 
 
       
         第47回   文化財レスキューとは   −紀伊半島大水害被災資料保全活動を事例として−
 
   近年、国−県−市町村、そして官−民のネットワークができつつある文化財レスキュー活動について、 平成23年9月の紀伊半島大水害への対応を事例として御紹介します。
 
 
 
 
 
       
         第46回   文書館の仕事   −古文書編−
 
   和歌山県立文書館は、公文書・古文書・行政資料を収集・整理・保存し、皆様の利用に供しています。
   今回は、このうち古文書について、収集から利用に供するまでの仕事の流れを紹介します。
 
 
 
 
 
 
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         第45回   紀州茶の湯さんぽ   −近世城下町編−
 
導入解説 和歌山市街図とポイント 近世城下町編TOP 表千家九代了々斎 了々斎の署名と花押 解説文 紀州藩御数寄屋頭
   江戸時代、紀州藩では茶の湯を仕事とする「数寄屋頭すきやがしら」という役職があり、 千(表千家)・中野・川合・千賀せんが・室・住山の家が勤めていました。
   表千家九代了々斎りょうりょうさいが歩いたであろう、和歌山の城下町周辺について紹介します。
 
 
表千家屋敷跡 駿河屋キャプション 駿河屋地図 名所図会の駿河屋 表千家屋敷跡 和歌山城キャプション 現状写真 庭園部地図 右文読み 其外心得書 和歌山城 夏物売出し 呉服 西浜御殿御庭焼 五百羅漢の写真2 五百羅漢の写真2 養翠園実際庵
 
 
 
       
         第44回   びっくり!!明治の新聞広告
 
   明治に生きた私たちのご先祖様たちが暮らしの中で目にしたであろう新聞広告を展示いたしました。時代の最先端を行くものから、 「え? こんなものまで広告するの」というものまでを抜粋してあります。今日の私たちからすれば、相当に不可解なものもありますが、 明治という新しい時代を迎えたのびやかさや、力強さ、清新な風潮を感じ取っていただければと思います。
パネル展示案内 最先端技術の広告 最先端技術です サプリメントの広告 色白新剤の広告 サプリメントと色白美人
 
新年挨拶1 新年挨拶2 新年挨拶3 新年のごあいさつ 肉ペプトン・ビットル剤 防腐剤・百日香水 怪しげな広告 夏物売出し 呉服 せいもん払い バーゲンセール 五百羅漢の写真2 五百羅漢の写真2 こんなものまで
 
 
       
         第43回   違いを見つけよう   〜名所図会の絵図がこんなに違う〜
 
タイトルのパネル 松生院の絵図1 松生院の絵図2 松生院のパネル
   『紀伊国名所図会』は江戸期の代表的な名所図会として知られ、文化8年(1811)に第一編三巻、文化9年に第二編三巻、 天保9年(1838)に第三編六巻、嘉永4年(1851)に後編六巻が刊行されました。ここに紹介したのは各編を増刷した際に絵図に修正が 加えられており、同じ場面でも異なる図柄があるのをご覧いただくものです。
 
五百羅漢のパネル1 五百羅漢の写真2 五百羅漢のパネル2 加太のパネル1 加太の写真 加太のパネル2
 
 
 
       
         第42回   紀伊国名所図会等に見る今昔 18   〜龍神温泉とその周辺の風景〜
 
   今回は、龍神温泉とその周辺の景観を写真もまじえて紹介します。
 
 
 
 
龍神温泉 龍神温泉と周辺パネル1 旅舎 龍神温泉と周辺パネル2
 
龍神温泉自動車 龍神温泉と周辺パネル3 阪和電鉄 龍神温泉と周辺パネル4 えびすや 龍神温泉と周辺パネル5 高野山参詣道 龍神温泉と周辺パネル6
 
 
       
         第41回   明治期の引札   名手市場・商店の引札−堀家文書より−
 
解説 明治期の引札パネル1 御菓子製造所他 明治期の引札パネル2
   「紀の川名手市場 堀家文書」には大量の古文書類の中に、色鮮やかな明治時代の商店の引札が残されています。 地域別には全42点のうち、名手市場29点、粉川8点、和歌山市2点、京都市が3点となっています。 今回は、これらの中から最も多く残っている名手市場の商店について紹介します。
 
煙草製造所他 明治期の引札パネル3 荒物商他 明治期の引札パネル4 御定宿 明治期の引札パネル5 酢醸所 明治期の引札パネル6
 
 
 
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         第40回   紀伊国名所図会等にみる今昔 17   〜和歌山市内の社寺〜
 
   今回は、鷺森別院、法輪寺、浜の宮神社、五百羅漢禅寺、大同寺、伊太祁曽神社といった和歌山市内の社寺を紹介します。
 
 
 
 
鷺森別院 和歌山市内の社寺パネル鷺森別院 法輪寺 和歌山市内の社寺パネル法輪寺
 
鷺森別院 法輪寺
 
浜の宮神社 和歌山市内の社寺パネル浜の宮神社 五百羅漢禅寺 和歌山市内の社寺パネル五百羅漢禅寺 大同寺 和歌山市内の社寺パネル大同寺 伊太祁曽神社 和歌山市内の社寺パネル伊太祁曽神社
 
浜の宮神社 五百羅漢禅寺 大同寺 伊太祁曽神社
 
 
       
         第39回   漱石が来た頃の風景
 
   平成23年は、夏目漱石が和歌山を訪れてから100年目にあたります。 漱石は電車から見た和歌山市内の風景や和歌の浦での見聞を小説『行人』の中で数多く描いています。 漱石が通った道筋の風景を彼の小説と当時の新聞記事を織り交ぜながら紹介します。
 
使用した写真の一部 使用した写真の一部 使用した写真の一部 使用した写真の一部 パネル漱石が来た頃の風景 南海鉄道 急行列車の食堂車 南海鉄道 急行列車の食堂車と時間表  南海鉄道 和歌山市駅 南海鉄道 和歌山市駅と電車停留場 パネル南海鉄道で和歌山へ 和歌山 京橋 和歌山 一ノ橋 和歌山市役所前 電鉄より物産陳列館及び和歌山城天守閣 和歌山県立和歌山中学校 小松原通り 武徳殿より和歌山城を望む 和歌山県庁 パネル電車で和歌の浦へ(1)
 
漱石が来た頃の風景 南海鉄道で和歌山へ 電車で和歌の浦へ(1)
 
高松 電車停留場 和歌の浦 根上り松 和歌の浦 高松電車 和歌山市小松原通四丁目 日本赤十字社支部病院 和歌の浦 秋葉山五百羅漢寺 和歌の浦 秋葉山 亀遊岩 パネル電車で和歌の浦へ(2) 明光橋と電車 和歌の浦 あしべや旅館と不老橋を望む 和歌の浦 望海楼山及び旅館兼料理望海楼 和歌の浦 望海楼山及び旅館兼料理望海楼 和歌の浦エレベーター 和歌の浦朧山エレベーター パネル望海楼とエレベーター 和歌浦望海楼山エレベーター 和歌の浦 奠供山上 紀三井寺展望 和歌の浦 明光台昇降室 和歌の浦 妹背山下り松及び三段橋 紀三井寺表門石段 西国第二番札所 紀三井寺本堂 パネルエレベーターと紀三井寺 新和歌の浦 米栄本店 新和歌の浦 東トンネル 和歌の浦 片男波 和歌山県議事堂 和歌山 丸の内 風月庵 明治期の富士屋旅館 富士屋旅館 明治期の引札 パネル講演当日の漱石
 
電車で和歌の浦へ(2) 望海楼とエレベーター エレベーターと紀三井寺 講演当日の漱石
 
 
 
       
         第38回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−16   〜鷺森の風景〜
 
   紀伊国名所図会の絵図によると、西本願寺鷺森さぎのもり別院には本堂の他、対面所・御主殿等の建物が並び、 また、その周囲の町割りは城下町とは異なった形状を示していました。しかし、鷺森別院は戦災により土蔵一棟を残して焼失し、 戦後の土地区画整理事業で周辺区画もその形状の変更を余儀なくされました。今回の展示では、鷺森別院の戦前から戦後の移り変わりを 名所図会の絵図や明治・大正期の写真・地図等を使いながら、周辺の景観の変化も含めてご覧いただくことにしました。
 
紀伊国名所図会初編 一之巻上 表紙と三之巻下 奥付  紀伊国名所図会二編 四之巻下 表紙と見返し 紀伊名国所図会二編 四之巻上 表紙と見返し 紀伊国名所図会二編 六之巻下 奥付 パネル紀伊国名所図会 鷺森別院を望む門前通り 朝椋神社・鷺森別院(紀伊国名所図会より) パネル鷺森 明治42年刊『紀伊名所案内』より鷺森別院 朝椋神社・鷺森別院(紀伊国名所図会より) パネル鷺森別院 鷺森別院を望む門前通り 安政2年11月19日の火災 『続城下町の片隅で』(三尾八朔著)より 安政2年11月19日の火災 小池良吉 筆写『水島見聞雑記』稿本(三尾 功氏所蔵) パネル明治末期の門前風景
 
紀伊国名所図会 鷺森 鷺森別院(江戸期と明治期) 明治末期の門前風景
安政2年門前での火災
 
鷺森別院本堂と唐門(御坊門)   明治26年刊 「和歌山市街明細全図」の一部   パネル寄合橋から 大正期の本堂(鷺森別院) 現代の本堂は南向き 大正12年 和歌山城天守閣から眺め パネル鷺森別院2 『和歌山市戦災復興誌』より戦前の街区 『和歌山市戦災復興誌』より区画整理実施後 境内の南西角(鷺森別院) パネル戦前と戦後 朝椋神社にあった松です「社霊松」 明治42年刊『紀伊名所案内』より「鷺の森 朝椋の松」 現在の朝椋神社 パネル朝椋神社
 
名所図会より
寄合橋から風景と明治期の地図
鷺森別院(大正から昭和) 地図でみる戦前と戦後 朝椋神社の今・昔
 
 
       
         第37回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−15   〜旧橋本町の風景〜
 
   今回は、東家、橋本駅周辺、紀ノ川など旧橋本町の景観を紹介します。
 
    パネル紀伊国名所図会          パネル旧橋本町    パネル江戸期の橋本町 妙楽寺    陵山  応其寺   松ケ枝橋   太神社内の一里松の跡   バンドコ付近    東家の渡場跡  三軒茶屋の常夜灯   パネル名所図会
 
紀伊国名所図会 旧橋本町 江戸期の橋本町 名所図会に描かれた各地点
 
            東家の四辻                         パネル鳥瞰      パネル鮎漁       パネル妻ノ浦と御殿浦
 
東家の四辻 橋本駅周辺と橋本町の鳥瞰 紀ノ川の鮎漁 妻ノ浦と御殿浦
 
 
 
       
         第36回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−14   〜加太・深山・大川の風景〜
 
   今回は、加太、深山、大川の景観の移り変わりを紹介します。
 
    パネル紀伊国名所図会                   パネル大川の風景       パネル加太の風景1                         パネル加太の風景2
 
紀伊国名所図会 大川の風景 加太の風景(1) 加太の風景(2)
 
                        パネル加太の風景3                      パネル深山の兵営1       パネル深山の兵営2        パネル深山の兵営3
 
加太の風景(3) 深山の兵営(1) 深山の兵営(2) 深山の兵営(3)
 
 
 
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         第35回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−13   〜湯崎温泉の風景〜
 
   白浜温泉は、道後温泉・有馬温泉とともに日本三古湯のひとつに数えられます。白浜温泉のなかでも最も古くから知られたのが湯崎温泉です。
 
    パネル紀伊国名所図会    パネル湯崎温泉の風景1   パネル湯崎温泉の風景2        パネル温泉街のうつりかわり
 
紀伊国名所図会 湯崎温泉の風景 湯崎温泉の風景 温泉街のうつりかわり
 
       パネル明治〜大正の湯崎七湯      パネル崎の湯        パネル湯崎温泉の旅館1         パネル湯崎温泉の旅館2
 
明治〜大正の湯崎七湯 崎の湯 湯崎温泉の旅館(1) 湯崎温泉の旅館(2)
 
 
 
       
         第34回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−12   〜旧那賀郡内の風景〜
 
   今回は、粉川寺、根来寺、旧制粉川中学校、河北農蚕学校など旧那賀郡内の景観を紹介します。
 
    パネル紀伊国名所図会        パネル粉河寺と十禅律院1         パネル粉河寺と十禅律院2        パネル粉河町点描
 
紀伊国名所図会 粉河寺と十禅律院(1) 粉河寺と十禅律院(2) 粉河町点描
 
   パネル旧制粉河中学校1        パネル旧制粉河中学校2         パネル根来寺        パネル河北農蚕学校
 
旧制粉河中学校 旧制粉河中学校(2) 根来寺 那賀郡立河北農蚕学校〜
県立那賀農業学校〜紀北農業学校
 
 
       
         第33回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−11   〜有田地方の風景〜
 
        パネル有田川の風景       パネル鮎瀧と小瀧
   今回は、有田川の鮎瀧から北湊までの間の景観の移り変わりを紹介します。
 
 
 
 
 
有田川の風景 鮎瀧と小瀧
 
      パネル湯浅町の風景1        パネル湯浅町の風景2         パネル広川町の風景        パネル発火演習
 
湯浅町の風景(1) 湯浅町の風景(2) 広川町の風景 耐久中学校の発火演習
 
 
 
       
         第32回   紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−10   〜和歌山城周辺の風景〜
 
   今回は、和歌山城周辺の景観の移り変わりを紹介します。
 
 
 
 
     京橋の変遷1         京橋の変遷2
 
京橋の変遷(1) 京橋の変遷(2)
 
       パネル京橋〜和歌山城堀端          パネル和歌山城から見た風景1        パネル和歌山城から見た風景2         パネル和歌山城から見た風景3
 
京橋〜和歌山城堀端まで 和歌山城から見た風景(1) 和歌山城から見た風景(2) 和歌山城から見た風景(3)
 
 
       
         第31回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−9   〜岩出市と紀の川市の風景〜
 
      パネル大宮神社付近の風景1      パネル大宮神社付近の風景2
   今回は、岩出市の大宮神社周辺、紀の川市の諸井橋周辺、長田観音、藤崎及び鞆渕八幡神社等をとりあげます。
 
 
 
 
大宮神社付近の風景(1) 大宮神社付近の風景(2)
 
      パネル諸井橋付近の風景          パネル長田観音        パネル藤崎の風景           パネル鞆渕八幡神社
 
諸井橋付近の風景 長田観音 藤崎の風景 鞆渕八幡神社
 
 
 
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         第30回   紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−8   〜名所図会に描かれた和歌山城〜
 
   『紀伊国名所図会』の後編には和歌山城の図が10枚もあります。 今回は、そのうちの6枚の図に描かれた場所について、現在の姿とを対比させながら景観の移り変わりを解説します。
 
 
 
        パネル大手門周辺1         パネル大手門周辺2
 
大手門周辺(1) 大手門周辺(2)
 
     パネル吹上口周辺        パネル高石垣周辺       パネル岡口門周辺      パネル鶴の谷
 
吹上口周辺 高石垣周辺 岡口門周辺 鶴の谷
 
 
       
         第29回   紀伊国名所図会等にみる今昔−風景の移り変わり−7   〜有田川沿いの風景〜
 
       パネル蜜柑山の風景     パネル蜜柑の荷造り
   今回は、有田地域のみかん山等を中心とした景観の移り変わりを紹介します。
 
 
 
 
 
蜜柑山の風景 蜜柑の荷造り
 
      パネル蜜柑船のある風景1         パネル蜜柑船のある風景2       パネル北湊の風景      パネル天甫堤から地ノ島まで
 
蜜柑船のある風景(1) 蜜柑船のある風景(2) 北湊の風景 天甫堤から地ノ島まで
 
 
 
       
         第28回   紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−6   〜海南市の海辺の風景〜
 
   今回は、冷水浦周辺から加茂川河口に至る地域を古い絵はがきと現在の風景写真とを対比させながら紹介します。
 
 
 
    パネル冷水浦の風景     パネル塩津付近の風景1
 
冷水浦の風景 塩津付近の風景(1)
 
       パネル塩津付近の風景2       パネル大崎浦の風景1      パネル大崎浦の風景2     パネル方の海岸風景
 
塩津付近の風景(2) 大崎浦の風景(1) 大崎浦の風景(2) 方の海岸風景
 
 
       
         第27回   大庄屋文書に残された漂流民関係史料
 
天寿丸一件略年表 パネル嘉永三年の天寿丸遭難一件 (右)於長崎御番所口書(左)漂流人日高郡薗浦新町庄右衛門船天寿丸沖船頭九助事虎吉初五人之者共申口書 パネル虎吉たちの動向
   「瀬戸家文書」は近世に日高郡江川組・天田組の大庄屋を勤めた家に残された史料群です。 ここには大庄屋関係の文書や、瀬戸家が営んでいた酒造関係の文書など数多くの史料が残されています。 その中の「天寿丸漂流記」と書かれた貼り紙のある紙の箱に近世の漂流民に関係する史料が一括して残されていました。 今回は、嘉永3年(1851)に伊豆沖で遭難した廻船天寿丸の漂流に関する史料を中心として紹介します。
 
嘉永三年の天寿丸遭難一件 虎吉たちの動向
 
(右)異聞別録魯西亜之部(左)魯西亜国漂流来草藁   異聞別録魯西亜之部 パネル長助たちの動向 (右)米利幹文字(左)魯西亜洲言語 魯西亜洲言語 パネル漂流民の伝えた外国語 異国船浦賀表江渡来記 パネルペリー来航 此度之異国船一件ニ付村々へ心得させ書 パネル紀州藩の防海政策
 
長助たちの動向 漂流民の伝えた外国語 ペリー来航 紀州藩の防海政策
 
 
 
       
   第26回  紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−5 〜海南市下津町の風景(加茂谷と長保寺)〜
 
   加茂谷は紀州蜜柑を輸送するための蜜柑籠の製作地でした。 名所図会によると元和年間に海士郡代官の木村八郎大夫が大窪村の農民に作間稼ぎに竹籠を作らせ、生計をたてさせたことに始まります。
 
            パネル海南市下津町の風景1                   パネル海南市下津町の風景2
 
               パネル海南市下津町の風景3             パネル海南市下津町の風景4                パネル海南市下津町の風景5                パネル海南市下津町の風景6
 
 
 
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    第25回  紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−4 〜和歌の浦(御手洗池周辺と出島界隈)〜
 
               パネル御手洗池周辺と出島界隈1                パネル御手洗池周辺と出島界隈2
   今回は、御手洗池周辺と出島界隈を中心とした和歌の浦の景観の変化を紹介します。
 
 
 
 
            パネル御手洗池周辺と出島界隈3                      パネル御手洗池周辺と出島界隈4                         パネル御手洗池周辺と出島界隈5                            パネル御手洗池周辺と出島界隈6
 
 
       
    第24回  紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−3 〜和歌の浦(奠供山周辺と片男波海岸)〜
 
   今回は、奠供てんぐ山の前面の市町いちまち前干潟を中心とした和歌の浦の景観の変化を紹介します。
 
 
 
奠供山周辺と片男波海岸 現在の鏡山から見た不老橋 南紀男山焼染付和歌浦図菓子鉢:和歌山市立博物館蔵 明治25年頃の不老橋 当時の鏡山から見た不老橋 パネル奠供山周辺と片男波海岸 奠供山碑 現代の玉津島神社境内 玉津島神社:明治26年刊「和歌浦全図」 奠供山とその周辺 明治末〜大正初期の玉津島神社境内 パネル奠供山とその周辺
 
奠供山周辺と片男波海岸 奠供山とその周辺
 
鏡山から見た高津志山:現在 埋め立て前の市町前湿地 当時のエレベーターから見た風景 現在の市町 海草郡沿岸諸港見取図 現在の風景 鏡山から見た高津志山 パネル埋め立て前の市町前湿地 現在の様子 仕切り堤防の水門 現在の風景 エレベーター「明光台」 曙橋付近から見たエレベーター 市町前から見た望海楼とエレベーター パネルエレベーター八景其一 北西の方向から見たエレベーター 塩釜神社 見物客でにぎわう奠供山頂 現在の奠供山頂 市町川と御手洗池 現在の様子 エレベーターと背後の湿地 現在の様子 パネルエレベーター八景其二 護岸工事前の片男波海岸:大正期以前? 当時の片男波堤防 松林から見た片男波館 現在の片男波堤防 周辺の地図 料理旅館島田別荘 パネル片男波海岸の風景の変遷
 
埋め立て前の市町前湿地 エレベーター八景其一 エレベーター八景其二 片男波海岸の風景の変遷
 
 
       
         第23回   紀伊国名所図会等に見る今昔−風景の移り変わり−2   〜和歌の浦(妹背山周辺)〜
 
今回の紹介場所 芦辺の浦 パネル妹背山周辺1 三断橋と妹背山 三断橋 パネル妹背山周辺2
   今回は、妹背山周辺を中心とした和歌の浦の景観の変化を紹介します。
 
 
 
 
明治期の芦辺屋 現在の風景 芦辺屋本館 パネル妹背山周辺3 三断橋と妹背山 現在の三断橋と妹背山 現在の風景 砂岩製の題目石 芦辺屋の一部と不老橋 パネル妹背山周辺4 観海楼 観海楼と二羽の鶴 柱脚部回収中の観海楼 妹背山の多宝塔 現在の様子 パネル妹背山周辺5 紀三井寺からみた現在の和歌の浦 紀三井寺絵馬楼からみた和歌の浦 紀三井寺からみた和歌の浦 紀三井寺からみた和歌の浦 パネル妹背山周辺6
 
 
 
       
         第22回   紀伊国名所図会等に見る今昔 −風景の移り変わり−
 
   紀伊国名所図会は、紀伊国各地の名所・旧跡・神社・仏閣・地名の由来・特産物その他を網羅した興味深い地誌です。 とりわけ、江戸後期の人々の生活ぶりや当時の景観を生き生きと描いた挿絵は、名所図会のハイライトであり、 私達にとって親しみやすい歴史資料であるといえます。 百数十年前に描かれた景観がどれだけ現代に引き継がれ、あるいはどのように変貌をとげているのか、 名所図会に描かれたふるさとの原風景を中心として、現代の写真及び古写真等との対比の中から探っていきたいと思います。
和歌道沿いの根上り松に集う人々 玉津島神社境内に移された「鶴の松」 根上り松があったと言われる一帯 和歌道根上り松 南北に行き交う人力車 和歌の浦根上り松 和歌浦道根上り松 パネル風景の移り変わり1
 
和歌海道の往来 高松バス停留所付近 パネル風景の移り変わり2 愛宕山 圓珠院前からの切通道 現在の圓珠院 圓珠院方面への入り口 和歌山名所図会より 紀伊和歌図より 鳥居と愛宕大権現 パネル風景の移り変わり3 秋葉権現社 五百羅漢堂 仁王門 亀遊巌 五百羅漢寺 和歌浦高松電車 五百羅漢寺 五百羅漢寺 スケッチ パネル風景の移り変わり4 現在の養珠寺 山上の妙見堂 養珠寺 和歌の浦の地図 現在の街並 和歌の浦一帯の絵図 パネル風景の移り変わり5
 
 
 
       
         第17回    明治二年 熊野地方の一記録
 
   今回紹介するのは、堀内信により書き残された『老の苧環』(おいのおだまき)下巻所収の、明治2(1869)年頃の熊野地方に関する記録です。 堀内信は元紀州藩士ですが、江戸で生まれ育った人でしたので、熊野に赴任した時、その生活や風習の違いには大変驚いたようです。
ここでは、『老の苧環』からほんの一部分ですが、明治初期の熊野地方の情景や出来事について、見てみたいと思います。
 
 
 
 
 
       
         第9回    城下町和歌山の書店
 
   幕末の城下町和歌山に、坂本屋という大手の書物(かきもの)屋(書店)が2軒ありました。 書物屋(書店)といっても大手の店は通常、小売りよりも出版・卸に重点を置いた経営でした。 坂本屋兄弟も、和歌山を中心にした文化人ばかりでなく、当時の版木による印刷に携わる版木の彫(ほ)り師や摺(す)り師などの職人をまとめながら、 次々と書籍を企画し出版しています。
 
 
 
 
 
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