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文書館だより 収蔵史料目録等 文書館紀要 記念誌等 和歌山県史

  紀要24号(令和4年3月発行)の紹介
    
下津善右衛門の幕末維新
―御山方御用から勢州領田丸詰へ―
平良 聡弘 
《要旨》
百姓でありながら、猪鹿の狩猟などを役儀とする紀州藩の御山方をつとめた有田の下津善右衛門。天誅組の変や禁門の変といった幕末の動乱に際し、御山方として勢州領の田丸へ出張り軍事行動に参加、その体験を通じ政治意識を高めていった様相を論じる。

資料紹介
和歌山県立文書館所蔵文応元年忍空書写の奥書をもつ『覚源抄』
西山 史朗
《要旨》
和歌山県立文書館に寄贈された故巽三郎氏旧蔵史料のうち、文応元年(1260)高野山三昧寿院で、忍空という人物が書写したという奥書をもつ『覚源抄』の翻刻を掲載する。あわせて奥書内容の検証ならびに当館所蔵『覚源抄』の特徴について述べる。

※令和4年3月発行『和歌山県立文書館紀要』第24号に掲載のタイトルについて、下記のとおり誤りがありましたので、お詫び申し上げますとともにここに訂正をいたします。

 (誤)「資料紹介 和歌山県立文書館所蔵文応二年忍空書写の奥書をもつ『覚源抄』」
 (正)「資料紹介 和歌山県立文書館所蔵文応元年忍空書写の奥書をもつ『覚源抄』」

令和元・二年度の民間所在資料保存状況調査について
―湯浅町・広川町―
藤 隆宏 
《要旨》
令和元年度及び令和2年度に実施した他機関との共同調査事業「災害の記憶」事業から、有田郡湯浅町及び広川町における民間所在資料保存状況調査成果を報告する。

和歌山県立文書館の利用について

今までに発行した紀要
  紀要23号(令和3年3月発行)の紹介
    
近世・近代移行期の大蔵書 
和歌山県立図書館所蔵「濱口梧陵文庫」
松本 泰明 
《要旨》
濱口梧陵の旧蔵書「濱口梧陵文庫」の内容や蔵書形成の背景などを紹介し、梧陵の思想形成過程を考察します。濱口梧陵生誕二〇〇年記念県立図書館・文書館合同展示「濱口梧陵と梧陵文庫」展の成果報告です。

県立耐久高校所蔵「耐久梧陵文庫」の保存と活用 玉置 將人
《要旨》
近年整理が進み、文書館「和歌山県歴史資料アーカイブ」サイトでの公開に至った県立耐久高校所蔵「耐久梧陵文庫」について、資料整理の経緯と蔵書の内容を紹介します。また、同文庫活用の取組を事例として、学校所蔵資料の活用について考えます。

湯浅村における安政地震津波への対応と教訓の継承 藤 隆宏 
《要旨》
和歌山県指定史跡「大地震津波心得の記」碑や古文書から、有田郡湯浅村(現有田郡湯浅町湯浅)における安政地震津波の発生状況・被害の実態と併せて、救援・復興施策と教訓を継承する活動が組織的に行われたことを明らかにします。

史料翻刻
県立串本古座高校所蔵中根文庫より「新宮武鑑」
砂川 佳子 ・ 西山 史朗 
《要旨》
県立串本古座高校所蔵中根文庫(「和歌山県歴史資料アーカイブ」で公開)のうち「新宮武鑑」を翻刻しています。また、中根文庫について解説するとともに、文書館資料などとの比較から、「新宮武鑑」の史料的価値を確認します。 

今までに発行した紀要
  紀要22号(令和2年3月発行)の紹介
    
紀州沖の灯火をもとめて
−幕末維新期の灯台をめぐる内外動向− 
平良 聡弘 
《要旨》
幕末維新期、日本国内の灯台設置をめぐって江戸幕府・明治新政府とヨーロッパ諸国との間でかなり詳細かつ激しい交渉が行われました。紀州潮岬灯台・樫野埼灯台(串本町)の事例を中心に論じます。外交史料展の成果報告です。

「附込帳」にみる奥女中の役替について その7 松島 由佳
《要旨》
当館蔵「附込帳つけこみちょう」より、万延二年(1861)から慶応元年(1865)までの「女中」項目を翻刻しました。この時期、紀州徳川家第十三代藩主慶福よしとみの将軍宣下(第十四代将軍家茂いえもち)により「将軍生母」となった実成院じつじょういん。江戸城本丸大奥へ引き移りとなります。その際江戸へ召し連れとなった紀州藩奥女中団がどのように形成されてきたのかに注目します。

日高町津久野の宝永・安政津波記録と紀州藩の「日銭」徴収  藤 隆宏 
《要旨》
日高郡津久野浦(日高町津久野)の庄屋文書『塩崎家文書』(文書館寄託)から、宝永地震津波及び安政地震津波に関する記録と、安政地震の直前に出現したロシア船の影響により紀州藩領内で行われた海防政策関係の記録を紹介します。

平成29・30年度の民間所在資料保存状況調査について 藤 隆宏 
《要旨》
日高郡日高町、西牟婁郡白浜町、新宮市及び東牟婁郡北山村で実施した共同調査「災害の記憶」事業からの民間所在資料保存状況調査成果を報告します。 

今までに発行した紀要
  紀要21号(平成31年3月発行)の紹介
    
地域のなかの「偉人」顕彰
−「勤王の志士」森田節斎をめぐる地域の人びと− 
平良 聡弘 
《要旨》
幕末の儒者・森田節斎を「勤王の志士」として顕彰した地域の思いとは。節斎との縁を有する紀ノ川荒見の北家の動き、およびそれを取り巻く周囲の動向を明らかにし、日本近代における「偉人」顕彰の歴史的な意義について考察しました。 

新宮市熊野川九重の被災遺物「?水之器」
及び記念石碑について 
藤 隆宏
《要旨》
平成23年9月の台風第12号豪雨災害(紀伊半島大水害)を期に、「再発見」された石碑の内容を解読し、文政期、過去の土砂災害で埋没していた遺物が出土したのを記念して石碑が作られたことを明らかにしました。 

史料翻刻 田辺藩庁文書「無官士族卒名前」  砂川 佳子 
《要旨》
当館蔵『県立図書館移管資料』中、従来和歌山藩庁文書として分類されていた4点の古文書が実は田辺藩庁文書であったことを明らかにし、その中の明治4年作成の無役家臣名簿を翻刻しています。 

「附込帳」にみる大奥女中の役替えについて その6  松島 由佳 
《要旨》
当館蔵「附込帳」より、今回は嘉永7年(1854)から安政7(万延元)年(1860)までの「女中」項目を翻刻しました。人員過剰となった紀州藩大奥では厳しい御人減しが計られます。その過程を考察します。また、安政7年に第14代藩主茂承の御簾中となった倫宮の御付女中団の形成過程を明らかにします。 

今までに発行した紀要
  紀要20号(平成30年3月発行)の紹介
    
資料紹介『紀州家中系譜並に親類書書上げ』における
紀州藩付家老安藤家家臣団の「先祖書」について
砂川 佳子
《要旨》
 当館蔵『紀州家中系譜並に親類書書上げ』(『家譜』)の中になぜか紛れ込んでいる、田辺安藤家家臣の 「先祖書」を紹介し、同家家臣団研究の一助とします。

田辺安藤家御茶道羽山家の歴代について 砂川 佳子
《要旨》
 『家譜』の中には、安藤家の「御茶道」である羽山家の「先祖書」もありました。                   「先祖書」を中心に、羽山家の職務や表千家との関係などをみていきます。

「附込帳」にみる奥女中の役替について その5 松島 由佳
《要旨》
 当館蔵「附込帳」(つけこみちょう)より、今回は嘉永二年(1849)から同六年まで の「女中」項目を翻刻しています。
 また、紀州徳川家第十二代藩主斉彊(なりかつ)の御付女中の人数・構成を明らかに し、前藩主斉順(なりゆき)から引き継いだ女中団がどのように再編成されたのかを考えます。
  嘉永五年十二月には、隠居後も長く権勢を誇った第十代治宝(はるとみ)が死去します。この時の 「御片付」により、隠居の立場となっていた治宝に、どの様な女中集団が形成されていたのか、 今回、初めて明らかになります。

平成二十七・二十八年度の
民間所在資料保存状況調査について
藤 隆宏
《要旨》
 日高郡由良町・印南町、西牟婁郡すさみ町及び東牟婁郡太地町・串本町で実施した共同調査「災害の記憶」事業からの成果を報告します。

今までに発行した紀要
  紀要19号(平成29年3月発行)の紹介
  
紀州藩校学習館督学の歴代 下 須山 高明
《要旨》
 紀要第16号で取り上げた四代3名に続き、学習館督学となった山本彦十郎亨斎と川合豹蔵梅所の経歴を確認し、 『南紀徳川史』が督学経験者とする斉藤海蔵南溟と仁井田源一郎長群は督学になっていない事実などを明らかにして、 従来の学説を修正しています。

日高郡切目川河口地域における
宝永・安政・昭和の津波と漁場開発者の盛衰
藤 隆宏
《要旨》
 日高郡切目川河口地域の津波の歴史と、宮井六之丞家の歴史を紀州藩との関連で述べます。

「故郷」の誕生
−同郷団体・和歌山学生会の活動を中心に−(下)
平良 聡弘
《要旨》
 紀要第18号の続編。
 今回は1880年代に設立され、 東京に本拠を置く和歌山最大の同郷団体「和歌山学生会」の足跡を辿り、その和歌山イメージを解明しています。 また、学生会の活動をめぐる対立を通じ故郷の認識が成立していったことも論じています。

「附込帳」にみる大奥女中の役替えについて その4 松島 由佳
《要旨》
 紀州藩の「附込帳」(つけこみちょう)より、弘化元年(1844)から嘉永元年(1848)までの「女中」項目を翻刻し、 女中団の編制・解体を見ていきます。
 この時期は、紀州徳川家第十一代藩主斉順(なりゆき)の正室と斉順本人が相次いで亡くなり、 養子斉彊(なりかつ)が第十二代藩主となり、のち幕府第十四代将軍家茂(いえもち)となる菊千代が誕生するなど、激動期でした。

今までに発行した紀要
  紀要18号(平成28年3月発行)の紹介
  
殿様のおくりもの
−治宝・斉順と駿河屋の菓子−
砂川 佳子
《要旨》
 紀州藩十代藩主治宝(はるとみ)・十一代斉順(なりゆき)と御用菓子司駿河屋との関わりを中心に、菓子に関する記録を取り上げ、 駿河屋の菓子の果たした役割について考察している。
 また、和歌山以外の場所での紀州藩の菓子調達の実態も明らかにしている。

「故郷」の誕生
−同郷団体・和歌山学生会の活動を中心に−(上)
平良 聡弘
《要旨》
 立身出世を目指し東京など大都市に向かった和歌山の人びと。彼らの「故郷」に対する向き合い方を考察する第一弾。
 今回は1880年代、「同郷」のきずなを軸とするネットワークがどのように始動していったのかを明らかにしている。

「附込帳」にみる大奥女中の役替えについて その3 松島 由佳
《要旨》
 当館蔵「附込帳」(つけこみちょう)より、今回は天保6(1835)年から同14年までの「女中」項目を翻刻している。
 また、同年の芳寿院(治宝姉・一条輝良室)没に伴う付女中団の御片付(解体)の記録から、 その規模・構成と、解体に伴う各女中の処遇を明らかにする。

平成26年度の民間所在資料保存状況調査について
−御坊市・美浜町・日高川町・那智勝浦町−
藤 隆宏
《要旨》
 県立博物館・県文化遺産課等と協働した「災害の記憶」事業を紹介し、 御坊市、日高郡美浜町・日高川町及び東牟婁郡那智勝浦町での成果の概要を報告する。

今までに発行した紀要
  紀要17号(平成27年3月発行)の紹介
  
旧紀州藩の明治維新観
−『南紀徳川史』を中心に−
平良 聡弘
《要旨》
 明治維新の当事者であった紀州藩(士)は、維新をどのように評価していたのか、主に『南紀徳川史』の記述から探った。
 旧幕府・旧藩を擁護し尊攘派や明治新政府に批判的な同書の記述は、王政復古ではなく大政奉還を維新の起点として紀州藩はその率先者であると自負する史観に基づくものであり、それは同書が編纂された明治20年から30年代における旧紀州藩士の一般的な歴史認識である可能性を示唆した。

紀州藩御数寄屋頭の格式と表千家茶道について
−室家を中心として−
砂川 佳子
《要旨》
 紀州藩の茶湯を司る役である「御数寄屋(おすきや)頭」各家の格式や序列について、当館の資料などを分析して変遷を明らかにした。
 御数寄屋頭の場合、個人の技量によって家格が上下する傾向は見られないが、「数寄の殿様」といわれた十代藩主治宝(はるとみ)の表千家家元制度への介入によって、同家を頂点・中心とした序列化がなされることになる。

「附込帳」にみる大奥女中の役替えについて その2 松島 由佳
《要旨》
 前号に続き、当館蔵「附込帳」(つけこみちょう)より、天保2(1831)年から同5年までの「女中」項目を翻刻する。
 紀州藩奥女中の取り立て、御暇の実態、「極老」・「老年」となった老女たちの処遇、御中揩ヨの役替えの有り様などについて実例を基に解説している。

今までに発行した紀要
  紀要16号(平成25年3月発行)の紹介

紀州藩校学習館督学の歴代 上 須山 高明
《要旨》
 紀州藩校は第五代藩主吉宗が開いた講釈場が初めであるが、吉宗が八代将軍に就いて以降次第に衰微していった。これを嘆いた第十代藩主徳川治宝は寛政三(1791)年に至ってその整備・拡張をはかって、それを学習館と名づけた。そしてそこに儒者以下を統括する督学(学長)の職を置いた。
 『南紀徳川史』ほかの文献によると、督学経験者とされる人物の数に異同がある。このことは依拠した資料に問題があるのだろうが、従来全く問題視されなかった督学の歴代を明らかにすることによって、この問題は解決するものと考える。
 ここでは紙幅の関係で初代から四代までの督学が、それぞれ何歳で就任して、何年間勤めたのかについて検討を加えた。

「附込帳」にみる奥女中御役替について 松島 由佳
《要旨》
 県立図書館から当館に移管された文書群に含まれる「附込帳」は紀州藩家臣の処遇に関して、日々の異動を記した資料である。この中から今回は特に「女中」項目をとりあげ、翻刻した。この資料からは『南紀徳川史』では知りえなかった、紀州藩大奥に出仕した奥女中の個人の名前や役職、俸禄などを明らかにすることができる。
 今回は文政八(1825)年・九年の期間を翻刻し、そこに記された葆光院(七代藩主宗将の子、千之丞)と転心院(八代藩主重倫女、等(とし)姫)に付けられた奥女中 「御片付」をとおして役職編成や人数、また御片付後の進退等について明らかにした。

古文書解釈 つるの嫁入り 遊佐 教寛
《要旨》
 古文書をひとりで学ぶための教材。百数十回の古文書講座からの抜粋。海士郡の百姓の娘“つる”が嫁入りをしてから没するまで、三十年ほどの時期を追った。
 古文書の写真にその読みや現代語訳を添えたばかりでなく、言葉についての解説をとりわけ充実させた。この解説では歴史用語はもちろんのこと、敬語や補助動詞など語法についても疑問の余地のないように詳しく述べた。十分な言葉の解説を載せた類書はないことからすれば、読者が大いに活用できることは間違いない。

今までに発行した紀要
  紀要15号(平成24年3月発行)の紹介

大野荘春日神社の寛永十三年定書について 伊藤 信明
《要旨》
 海南市大野中にある春日神社の祭祀組織メンバーの養子相続について定めた「寛永十三年定書」は、本文や署名者の検討から、寛永十三年に決めた定書ではなく、後の年代に記されたことを指摘した。
 そして、春日神社の決算報告書から毎年の神社運営の担当者や、祭祀組織メンバーの実態を検討して、「寛永十三年定書」がいつ、どのような目的で作成されたかを考察した。

三つの系譜と表千家
−「吸江斎本系譜」・「茶祖的伝」・「千家系図」を対象として−
砂川 佳子
《要旨》
 紀州藩士として召し抱えられた表千家十代家元の吸江斎(きゅうこうさい)が、文政九年(一八二六)に提出した「吸江斎」と表千家の門人であった稲垣休叟(いながききゅうそう)の「茶祖的伝」、草間直方(くさまなおかた)が著した『茶器名物図彙』に収められた「千家系図」の三つの系譜をとりあげ、記事の内容と文章、語句の使い方を比較し、「吸江斎本」が武士、「茶祖的伝」が茶道家元、「千家系図」が一つの家としての表千家をあらわしている、とする。

城下町和歌山における社寺参詣
  「小梅日記」と「日知録」を素材として
須山 高明
《要旨》
 「小梅日記」と沼野峯の「日知録」という二つの日記の記録を素材として、城下町和歌山に暮らすさまざまな人々がいつ、どんな場合に社寺に参詣しているのか、両家の産土神である朝椋神社や大師巡り及び日前宮への参詣ほかを、年中行事的なものと通過儀礼的なものとに分けて、その実態の一端を報告したもの。

今までに発行した紀要
  紀要14号(平成22年3月発行)の紹介
宇佐見定祐は古活字版「吾妻鏡」 を引き写した 遊佐 教寛
 《要旨》
 江戸時代の始め、源頼朝や足利尊氏などが、配下の者の戦功を賞して渡す「感状・証文」類を、自分の祖先が与えられたようによそおい66通も作り上げた人物がいた。紀州藩軍学者宇佐見定祐(大関佐助)【きしゅうはんぐんがくしゃうさみさだすけ(おおぜきさすけ)】だった。その際、頼朝の「証文」は、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」【あずまかがみ】のうち、江戸時代の始めに出版された木版刷り本を見て作っている。収録された頼朝「証文」から、唯一武功を褒め称えているものを選んで引き写していた。また、尊氏・謙信らの「感状」は、本物に使われている用語や様式を調べ、それぞれの時代のものに似せた内容にし、戦功をきわめて強調して書き上げている。

〔史料紹介〕「被仰渡帳」から「舜恭院様御附属御片附」について 松島 由佳
 《要旨》
 県立図書館から当館に移管された文書群の中に「被仰渡帳」【おおせわたされちょう】と題された史料がある。それには、紀州藩家臣の役職の任免、相続・隠居等の仰付【おおせつけ】や俸禄【ほうろく】の加増や報償に関する申し渡し等が記されている。ここでは、徳川治宝の死の翌年、嘉永六年(一八五三)の「被仰渡帳」に含まれる「舜恭院様御附属御片附」【しゅんきょういんさまごふぞくおかたづけ】と『南紀徳川史』の「舜恭院様御附属面々御品付次第」【しゅんきょういんさまごふぞくめんめんおしなつきしだい】を対比し、当該記述には記されなかった旧職名が、「舜恭院様御附属御片附」によって明らかになることから、治宝が隠居の立場でありながら、どのようにして家臣を動かし、藩政にどう影響力を及ぼしたのかを考える。

『和歌名所記』の成立とその意義をめぐって  須山 高明
 《要旨》
 名高浦(現海南市)専念寺の学僧である全長が和歌浦の案内書として著わした『和歌浦物語』にしばしば引用される、崎山本と称される「和歌名所記」は早い段階で往来物(寺子屋のテキスト)として採用されることになったであろうことを前提として、現在も目にすることのできる「和歌名所記」の類いを全文比較しながら、それが元来は、紀州徳川家初代藩主頼宣の意図のもとに作成されたものであることを明らかにするとともに、その理由が頼宣による紀州領民の人心掌握にあったことにも言及し、さらに藩として整備した聖域を囲い込むことなく、早期に和歌浦周遊コースとして一般に開放したことが、藩主導によって進めた名所公園としては、極めて早い時期のものであるという意義をも持っている事を指摘する。
今までに発行した紀要
 紀要13号(平成20年3月発行)の紹介
紀州日高郡の造酒屋仲間について 山崎 竜洋
 《要旨》
 当館に寄託されている瀬戸家文書に含まれる造酒屋関係史料のうち、「他所酒(同 郡内で醸造したものでない酒)流入」や「越株(郡を越えて流入する造酒株)」問題 などに対する日高郡造酒屋仲間の動向を検討する中で、彼等が「請酒屋(小売の酒屋)」 を支配しようと意図していたことや、この仲間が地域的及び業態的に特別な集団を形 成していたとする。

その謙信「感状」は紀州藩軍学者宇佐美定祐が作った 遊佐 教寛
 《要旨》
 宇佐美家文書は近世に作られた中世・戦国期の「感状・証文」類を含むものであ るが、これらは一体誰が作成したのだろうか。52通に及ぶ近世に作成された文書 群から従来は避けられていた作成者の特定に挑むものである。これら52通の文書      群から一文字一文字の「書き癖」「誤り」「筆順」などを判断基準として23種類の 「くせ字」があり、全109の誤字・くせ字を分析し、これこそ宇佐美定祐の手に なったものであると断定する。

天野丹生都比売神社のキマツリ  伊藤 信明
 《要旨》
 日本各地で榊を刺す神事が行われている。それらは祭礼に先立って神域や清浄な 空間を特定する役割を持っているとされている。一方、天野の丹生都比売神社に伝 わる「キマツリ」神事は丹生明神の鎮座伝承とかかわる諸国巡行神話の再現と言わ れてきた。しかし、当館に寄託されている丹生家文書等の検討を通して、この「キ マツリ」も神話とセットにはなっているものの、各地で行われているものと同様、 本来的には神域や清浄な空間領域を特定するものであったことを指摘する。

和歌山県下における明治期の書商たち
―田辺を中心とした地域を対象として―
須山 高明
 《要旨》
 研究蓄積の皆無な明治期の和歌山県下の書商たち(書物商売に携わった人々)に はどういう人々がいて、どういう事を主な生業としてきたのか。比較的資料の残存 状況のよい田辺を中心とした西牟婁郡及び日高郡南部町を対象として、可能な限り その人々の実態に迫るとともに、その人々が和歌山県の近代初期初等教育の普及の ために指名されて書物(特に教科書類)を扱っていた可能性が高いことを指摘する。
今までに発行した紀要
 紀要12号(平成19年3月発行)の紹介
カミソリで「下文」に虫食い穴を作った男
−紀州藩越後流軍学者宇佐美定祐文書を解きほぐす−
遊佐 教寛
 《要旨》
 承応3年(1654)軍学者大関左助が紀州藩に召し抱えられた。彼は上杉謙信の軍師宇佐美定行の子孫を称し、家伝の「感状」類を所有していた。ところが定行は架空の人物であり、「感状」類も左助自身が書き、柿渋に浸け虫食い穴も開けて古色を出したものだった。近世前期に作成されたこれらの古文書は大名家臣団の再編成過程を解明する第1級の史科群である、とする。

座送り考
  −入家者の宮座筋目保証手続きについて−
伊藤 信明
 《要旨》
 古くからあったとされる「座送り慣行」(宮座構成員同士の養子縁組でなければ養子を迎える家が自動的にその構成員としての資格を失うことに伴って様々な文書を発行する慣行)を紀ノ川の村々で行われていた例を対象として、その特色や意義について考察し、こうした慣行は宮座構成員の家格をいじするための装置であった、とする。

元治元年紀州藩諸事御用留 松島 由佳
 《要旨》
 県立図書館移管資料のうち、下級役職者である持筒同心頭が藩からの達・触書類を書き留めたものの翻刻で、本紀要1・2号に収載したものの続きに当たる。元治元年(1864)8月から翌慶応元年5月に至る間、参勤の為に江戸に赴く藩主の警護や第2次長州征伐時に本陣付を命ぜられた持筒同心達の動向について解説を加える。

和歌山の街道と停車場道
−明治45年和歌山県道路規則−
森脇 義夫
 《要旨》
 明治45年(1912)の「和歌山道路規則」を素材として、停車場道と港道が県道と呼ばれるようになった事実に焦点をあて、その歴史的背景と意義について考察を加え、この規則が「道路法」の成立以前であったことに着目して、本県道路制度近代化に向けての転換点になった、とする。

民間所在資料保存状況調査結果報告 藤  隆宏
 《要旨》
 平成9年から17年にかけて実施された「民間所在資料状況調査」の総括。調査活動の内容と調査結果を報告し、和歌山県内における民間所在資料の課題について考察を加える。

「自然災害における歴史資料保全対策支援システム」開発の取り組み(中間報告) 
  −民間所在資料等防災システムの構築−
山東  卓
 《要旨》
 平成17年度からの3年計画で「自然災害における歴史資料と保全対策支援システム」を開発していく中で、そのサブシステムとして「人的支援ネットワークシステム」「所在情報検索システム」「サポートシステム」の3つのシステムの必要性を提言し、そのうち既に構築なった「所在情報検索システム」によって、@資料の所在を地図上で把握し、A発生が予想される自然災害の状況を把握し、B災害発生地域の歴史資料を検索する等の3つの要素が可能になる、という事業の中間報告。

今までに発行した紀要