渋谷家文書(稲むらの火の館所蔵)

解題

 旧有田郡広村(現広川町広)に所在した渋谷家に伝わった文書である。渋谷家を整理した際に発見された文書群で、その後、渋谷家の親戚から稲むらの火の館へ寄贈された。
 渋谷家は、屋号をナゴヤ(名古屋)といい、手広く事業をおこなっていたようである(『広川町誌』)。文書群は書状や履歴書が中心で、渋谷家の来歴を伝える貴重なものである。
 特に、資料番号1「夏の夜かたり」は、『広川町誌』にも一部引用されている資料で、、明治時代に実業家として活躍した渋谷伝八(1840~1910)が、明治42年(1909)に執筆した。伝八は、同年9月に県が「郷土誌編さん要項」を定めて各郡市町村に示したことから、伝八自身の実体験や見聞をもとに広村の幕末から明治にかけての歴史を記したのであろう。
 ここで注目すべき内容は、濱口梧陵(1820~1885)による安政地震津波後の復興についてである。これまでも梧陵の功績は、津波襲来時における「稲むらの火」による①避難誘導、復興時における②広橋の再建、③仮小屋の建設、④広村堤防工事が言われてきた。
 この広村堤防は、津波の予防はもちろん、被災した村人たちの就労支援と租税免除を名目として建設されたと考えられていたが、本資料には「ツブレ且ツ破壊家屋ヲステル場所ヲ兼ネテ」(9画像目左側ページの右から5行目)とあり、つまり堤防の敷地が「(地震と津波によって)破壊された家屋等の廃棄場所を兼ねていた」ことが記述されている。
 本資料は、梧陵の功績のみならず、広村の歴史を知る上でも重要であると考えられることから、画像の公開だけでなく、くずし字を活字になおす全文翻刻をおこなった。
 

目録

Web公開資料目録                                                                         
整理番号 標題 年代 作成者 宛名 形態 資料
1 夏の夜かたり(広村郷土史)         ※画像を一部黒塗りしています (明治)42年 渋谷伝八 竪帳 PDF
2 じせつ之事(米麦等相場値段) 天保7年4月吉日 出口屋吉兵衛 竪帳 PDF
3 西国筋流行病長崎鎮台施薬之法書※大目付触の写し 午8~9月 PDF
4 〔直助殿死去により三幸殿花代請求につき〕 (明治19年)8月7日 津森久吉ほか 渋谷伝右衛門 竪帳 PDF
5 産物書上ケ帳 ※さかい村・はねた村 明和3年8月 堺村庄屋長太夫、埴田村庄屋勘七 横帳 PDF
6 〔西国33か所巡礼記〕 ※2名分、紀三井寺から出立し伊勢・熊野へ 未3月11日発 横半帳 PDF
7 有田学友会(有田学友会設立趣意書) ※表紙・裏表紙は後補 明治32年8月 広田町渋谷所蔵 竪帳 PDF
8 小学読本 首 明治7年5月 和歌山県翻刻書籍製本所 出版者 和歌山県下小野町野田大二郎ほか 冊子 PDF
9 耐久(創立九十周年記念 第40号) 昭和17年12月24日発行 編輯兼発行者 和歌山県立耐久中学校内 河内貞次郎 冊子 PDF
10 〔耐久〕(和歌山県立耐久中学校創立八十周年記念号) 昭和8年9月25日発行 編輯兼発行者 和歌山県有田郡湯浅町 西岡亮 冊子 PDF
11 〔袋〕履歴書 PDF
11-1 感謝状(小学校建設に尽力のため) 昭和6年3月22日 広村長 戸田保太郎 広村会議員 渋谷伝次郎 PDF
11-2 〔女牛への種子入れを願う書状〕 (明治)29年10月15日 生石村 井爪与次兵衛 広田町 渋谷伝八、伝七 封筒入状 PDF
11-3 〔さびしき心から故郷を思う書状〕 (明治29年)12月16日 那賀郡池田村 里村達様内渋谷一雄(仙人居士) 渋谷伝次郎(緞翰先生) 封筒入状 PDF
11-4-1 履歴書 昭和14年8月30日 渋谷伝次郎 封筒入竪帳 PDF
11-4-2 履歴書 昭和6年 月 日 中西啓二 封筒入状 PDF
11-5-1 履歴書(下書き) 昭和 渋谷一雄 封筒入状 PDF
11-5-2 履歴書 (大正4年頃) 渋谷一雄 封筒入綴 PDF
11-6 〔遠からず内々に委細申し上げたい旨書状〕 明治15年5月23日 濱野忠兵衛、濱野平兵衛 渋谷伝八 封筒入状 PDF
11-7 〔お金をお貸しくださるよう書状〕 (明治18年)2月11日 ひろしま津森内たね 渋谷伝八 封筒入状 PDF
11-8 〔塩崎ふく家の事につき相談する書状〕 (明治)22年3月18日 津森たね ※封筒裏「津森直助」 渋谷伝八 封筒入状 PDF
11-9-1 〔戸田安吉殿へ鈴木様よりお世話下さり嫁入りにつき書状〕 津森たね 渋谷 封紙入状 PDF
11-9-2 〔商店での役割分担につき書状〕 11月9日 津森安吉 渋谷 封紙入状 PDF

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