トルコ慰霊祭関係

概要

  この公文書は、令和5年度に国際課から収集したものである。
  「トルコ慰霊祭」とは、明治23年(1890)9月16日夜、串本町樫野埼沖でオスマン帝国(現在のトルコ共和国)から派遣された軍艦エルトゥールル号が台風による強風と高波により座礁、沈没し、犠牲となった乗組員587名に対する追悼式を指している。
  追悼式は、遭難事故から一周忌となる翌24年(1891)に執り行われ、それにあわせて当時の和歌山県知事石井忠亮を発起者とする「土国軍艦遭難之碑」が建立された。以後、現地での追悼式が継続され、昭和13年(1938)には新たな弔魂碑が建てられた。その後、戦争により一時中断されるも、戦後串本町を主催として現在も5年ごとに追悼式が開催されている。
  この「トルコ慰霊祭関係」には、昭和34年(1959)の70周年、同39年(1964)75周年、同44年(1969)80周年、同46年(1971)臨時、同49年(1974)85周年の各追悼式における式次第や歴代知事による弔辞(祭文)、招待者、経費、関係機関との連絡調整に関する文書が綴られており、時代による追悼式の変遷を知ることができる。

目録

Web公開資料
整理番号 標題 年代 作成者 宛名 形態 資料
D-2023-0005-1263 トルコ慰霊祭関係 昭和49年 総務学事課 簿冊 PDF

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