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「昭和100年」連続ケース展示①ロバート・テキスター関係資料
展示ケース
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昭和20年(1945)太平洋戦争の敗戦により、日本はアメリカ軍を中心とする連合国軍の占領管理下におかれました。 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本を直接統治するのではなく、その指示・命令を日本側が実施するという間接統治を行いました。 和歌山にも県行政を監督する和歌山軍政部がおかれました。
GHQで教育に関する施策を担当したのが民間情報教育局(CIE)です。 ロバート・テキスター(1923-2013)は、アメリカ陸軍勤務時に日本語の通訳・翻訳者としての教育を受けており、日本語に堪能でした。 彼は、除隊後の昭和21年(1946)4月に民間人としてCIEに配属され、同22年(1947)11月に和歌山軍政部教育部長として赴任、翌年7月に離任するまでの間、強い指導力を発揮して「テキスター旋風」と恐れられたといわれます。
しかし、当時、県担当者として交渉にあたった中沢哲夫(昭和42年から副知事)は、後に「(和歌山の教育改革は)徹底した合理主義者で、急進的な理論家だったテキスター氏に負う所が大きい」とし、テキスターも著書『日本における失敗』(昭和27年刊)で、「若い熱烈な教育者の一団は、広汎な民主的改革を実現するために、安月給で1日15時間働くことをいとわなかった。 このグループのやり方は、驚くほど、民主的で、各県庁の所在地にいる典型的な保守的官吏のやり方よりも、確実に民主的だった。 全日本にひろがるこれらの教育的過激派こそ、占領軍の希望だった。」 と、中沢ら県担当者を高く評価しました。
『ロバート・テキスター関係資料』は、和歌山軍政部に顧問として勤務していた谷口美智雄が保存していた教育部の月次報告書や、中沢が谷口を介してテキスターに著書の序文を依頼した往復文書などからなります。 一部を紹介します。
文責:龍野 直樹
